『語学はやり直せる!』という本を読んだので、引用しながら今後の外国語学習にどう生かせるか検討していきます。
だって、カッコいいから
「いったい、 どうして 語学なんかやってるの?」といわれたら、それだけはすぐに答えられる。
だって、カッコいいから。
(kindle版No.12/2164)
理由は原始的でいい
この一節には感銘を受けました。この本の著者である黒田龍之助先生は言語学者であり、語学も凄まじくできる人です。そんな偉人が「カッコいい」からという原動力で語学をやっている事実!
私たちも、シンプルに「カッコいい」から「かわいい」から、という原始的な動機付けで外国語を勉強していいんだ!と思えてきます。これは強い味方になり得そうです。
AIが台頭する昨今、直接的にビジネスなら自動翻訳で良いのでしょう。そうじゃなくて、スポーツとか音楽とかと一緒で「カッコいい」からやるといったモチベーションが今後は生き残っていくのかもしれません。
悔しかった学生時代の反動
大学時代、私は鬼のように外国語ができる人に囲まれていました。憧れのような、悔しさのような感情は今もあり、こんな語学系のブログを書いているところがあります。
今日が人生で一番若い日ですから、学生時代にやり残したことがあると思っているなら、お好きな外国語を始めてみても良いのかもしれませんね。
検定試験はどうでもいい
成績が上がるとか、就職のときに有利になるとか、そういうケチな理由で語学をやっていたのではない。検定試験のスコアに一喜一憂するようなセコイことも目指さなかった。だって、そういうのはカッコよくないんだもん。
(kindle版No.27/2164)
衝撃だった考え方
著者の黒田先生は、検定試験に否定的というか、興味がない人のようです。「検定試験はどうでもいい」という考え、これが受験勉強ばかりして来た大学生には衝撃的で、当時なかなか受け入れられない事実でした。
大学時代、私は黒田先生の授業を受けたことがあるのですが、学生の中には「検定試験はどうでもいい」ことに反発して、反抗的なレポートを書く人もいました。
私自信もなかなか受け入れられない概念だったのですが、今は少しわかる気もします。英語以外の外国語を勉強するとわかるのですが、そもそも検定試験がない言語が多数だったりします。
試験がなくても学ぶことができる
話者数が多い言語でも、人口が世界一になったインドの言語であるヒンディー語には検定がありません。
じゃあヒンディー語なんて勉強しなくて良いのかというと、さすがに誰も勉強しなくなったら外交とかで日本が不利になりそうです。検定試験がなくても、在印の外交官さんはヒンディー語を勉強する必要があるでしょう。
試験を受けなくても良いんだ!と思うと気が楽になりますよね。ただ一方で、試験が無いと面倒な部分もあります。実力の証明ができなかったり、甘えてしまって運用能力が上がらなかったり。
ただ、黒田先生自身が証明になっていて、ロシア語検定1級を持っていなくても、大学で職が得られるし、NHKでロシア語講座を持つことだってできます。
私はそんな語学力に憧れています。甘えて文法や単語がテキトーにならないように気を付けながら。
外国語はいくつやってもいい
(語学をいくつもやっていると)親や先生はむしろよい顔をしないことの方が多い。そんなことをやっていたら、受験勉強が疎かになるではないか。同級生ですら、そんなことをいって非難する。そのくせ、スポーツや音楽に熱心なら、それなりに理解されるのだから、世の中不公平である。
(Kindle版No.670/2164)
ロシア語で変人扱い
私自身は受験時代、外国語は英語しか勉強していなかったのですが、いや英語すらそんなにできなかったのですが、わかる気がします。
数年前、当時高校生だった親戚の子がロシア語を勉強し始めたのですが、親戚一同に心配されてしまい、うちの母親なんか英語の参考書をプレゼントとして押し付ける始末・・・。
インドア派の私としては、野球に打ち込んで成績を落としても割と普通な扱いなのに、それがロシア語になった途端に狂人扱いなのはいかがなものかと思ったものです。
大学なら語学ができる、が・・・
大学まで来れば、著者の黒田先生のように、語学好きな先生もいるので、居場所が見つかるかもしれません。それは高校と違って、大学の良い部分です。外国語大学では、名前も知らないような言語の授業も開かれています。
ただ、大学というか研究の世界では、語学ばっかりやっていても評価されないので、それはそれでつらい部分ではあります。私も、自分がやりたいのは「言語学」ではなく「語学」なんだと気づいて、大学院をやめました。
語学というのは、すでに話されていることを後追いでインプットする作業です。一方で、研究とは新しいことを発見することなので、根本的に語学とは方向が逆だと考えています。
外国語は死なない範囲で!
ひと昔ならさておき、現代では、語学が好きだけど研究ができない人は、”外国語”大学と言えども居続けることはできないでしょう。私の先輩にもそういう人がいます。語学の知識はたくさんあるのに、それらはどれも新規性が無いから、博士論文が書けない!典型的な語学エリートだけど研究ダメな外大生って感じです。
その彼はたぶん、10ヶ国語くらい喋れます。でも研究ができない以上、大学のポストは諦めて、予備校で英語を教えたり、公務員試験を受けて外務省に入るなど、別の道を探す必要があります。しかしそれではせっかく身に着けた語学の教養を半分も活かせないでしょう。大学で10言語の授業を開講するなど、彼が存分に活躍できる場を作れたら良いのですが、構造的になかなか難しいものがあります。
語学はいくつやってもいいですが、食っていかないと死んでしまいます。ですので基本的には、別途仕事の傍ら、趣味程度に語学をやるようにしましょう。それなら知識も広がって、人生を豊かにしてくれるはずです。語学は、あくまでも死なない範囲で!
結論
この本を読んだ私の結論は「カッコいいから語学やる、死なない範囲で!」です。素朴な感覚としては、やっぱり外国語はカッコいいし、外国語を運用できてる自分もカッコいい。
とはいえ著者の黒田先生は語学で食っている人なので、語学ばっかりやってても人生が成立しますが、どうも一般的には成立しない話も書かれています。
あくまでも語学に突き抜けた一例としてとらえて、書かれていることを再現するのはほんの数パーセントで十分だと思います。やりすぎると、私の先輩のように破滅に向かってしまいますので・・・。